宝石の国の中で、金剛に言うことを聞かせられるのはフォスだけ?
宝石の国10巻が発売されました。大好きなカンゴームがエクメアに取られ、付き人からは宝石と見られ、昔の仲間であった地上の宝石たちからは月人の一味だと憎まれ、どんどん独り追い詰められるフォスフォフィライト(以下フォス)。
そしてついにフォスは武器も持たず単身で地上へと戻ります。月人を無に帰すため、かつて先生と呼び愛していた金剛に祈ってもらうようお願いしに行くというのです。
もはや策でもなんでもなくただお願いしに行くだけという、捨て鉢とも言える行動ですが、意外なことに金剛はフォスの必死のお願いに、祈りを上げる仕草を見せます(月人たちもそれを観測していたようで、“起動した”と表現しています)。最終的に祈る(起動する)には至らなかったものの、フォスが強く懇願することで、祈ることができないとされていた金剛が祈ることができるようになるということが確認できたのです。
けれどもなぜ金剛は今更祈ることができるようになったのでしょうか?以前エクメアの話では、月人が金剛に一生懸命懇願し対話をし、あるいは説得を試みても、全く祈らなかった(起動しなかった)と言います。
また地上ではユークレースが8万回以上も祈るよう金剛にお願いしていたにも関わらず、やはり金剛は祈ることを始めませんでした。つまり、フォスの依頼だからこそ金剛は祈ることができる、フォスには金剛を起動させる何かがあるということなのでしょう。
宝石の国全巻無料試し読みはこちら金剛は壊れたから祈らなく(起動しなく)なったのか?
月人が無に帰るために金剛の祈りが必要だとエクメアは言いますが、そもそも金剛は壊れたから月人のために祈らなくなったのでしょうか?それとも壊れる前から月人のためには祈らなかったのでしょうか?
あの機械は私たちのために作られたものだった…だがあれはいつからか壊れてしまってね。仕事をしなくなってしまった。まだ我々と言う分解されていない魂があると言うのに。
宝石の国8巻
エクメアの言い方だと、金剛はもともと月人の魂を無に帰すために作られたはずが、壊れてしまって働かなくなってしまったようです。けれども金剛が宝石たちに語った過去の話を紐解くと、
…のあと長く地上にひとりであったが、ある日新しい鉱物生命体である君たちが出現した。
宝石の国9巻
金剛は長くひとりで地上にいたということですので、金剛の仕事はすでに終わっていたと言うことも考えられます。となればエクメアは嘘をついていて、エクメアをはじめとする月人はそもそも祈りを得られる、もっと言えば魂を無に帰してもらえる資格がない者たちだったのではないかとも推察されます。
月とは地獄のことなのか?
エクメアのセリフの中に、自分たちは咎人だという言葉が出てきます。
我々は人間の時誰の祈りも得られなかった個体だ。クズの成れ果てだ。
宝石の国8巻
また月での生活を、永久に続く苦痛、呪いとまで言っています。死後の世界で魂が行き着く苦痛の世界となると、我々の言葉でそれは“地獄”と言われます。
ひょっとすると古代には、罪人の魂のみを月に送り、永遠の苦しみを味あわせる仕組みかテクノロジーがあったということも考えられないでしょうか?もしくは一定期間ののち魂は解放される仕組みになっていたのが、文明が滅んでしまったせいでその方法も永遠に失われてしまい、そこにとどまらざる得なくなってしまったのかもしれません。
なぜフォスは金剛を祈らせる(起動させる)ことができたのか?
これまで多くの月人が懇願、対話、説得を試み、そして攻撃などしても祈ろうとはせず、またユークレースが200年以上何度もお願いしても起動しようとしなかった金剛ですが、フォスが一生懸命祈ってほしいと懇願した時に金剛は少しだけ祈る仕草をします。すなわち月人たちを無に帰すための機能を起動させたわけですが(結果的には完全に機能を起動させずに終わりましたが)、なぜフォスだけが金剛を起動させることができたのでしょうか。
フォスは過去に人間から分かれた3つの要素を全て内包している
かつて人間は肉と骨と魂に分かれ、それが今のアドミラビリス、宝石、そして月人であると言われています。そしてフォスは唯一その3者と密接に関わり、また自身の体のうちに内包していると言えます。
1〜2巻ではアドミラビリス族の王ウェントリココスと邂逅し、その弟であるアクレアツスの一部を足にしています。短時間ながらもその際に、フォスはアドミラビリスと交流をし、また信頼と慈悲を得ています。
またフォスの左目は月人がフォスの動向を監視するように、月人のテクノロジーの結晶である合成真珠が埋め込まれています。はじめは月人から信頼されていない証拠でもありましたが、今は月人と宝石の架け橋として大きな期待を持たれています。
もとは宝石ですが、他の2つの構成要素が体に残っているフォスだからこそ、人間の命令しか聞かないはずの金剛に言うことを聞かせることができる可能性があるのではないでしょうか。宝石の国10巻で初めて金剛が起動し祈る仕草を見せた時には、それを監視していた月人が、“フォスが金剛の資格認証を突破した”と表現をしています。
すなわち、本来人間しか起動させられない金剛の機能を、人間とみなされ資格を得たフォスが起動することができた、と言うことでしょう。フォスが人間とみなされる理由としては、まさに体の一部が人間でいう肉=アドミラビリスと、魂=月人の要素が入っているから以外には考えられません。
フォスが人間とみなされる証拠
証拠というほどではないですが、フォスが人間とみなされるようになった兆候がいくつかあります。1つ目は、宝石の国8巻、フォスが左目に合成真珠を埋め込まれた場面です。
埋め込まれた直後フォスは意識の奥で、少し前で「これが人間です」と見せられた白いびらびらを見ます。肉と骨に魂が宿り、人間としての存在を成した瞬間なのではないでしょうか。
また2つ目は、同じく宝石の国8巻、月から戻ったフォスを先生こと金剛が出迎えた場面です。金剛はひざまづき、「戻ったのか?」とフォスに問います。
ぱっと見、それはフォスが月から戻ってきたと思われますが、少し深読みすると、「人間に戻ったのか?」という意味にも取れます。またそれであれば金剛がひざまづいたことも説明できるように思えます。
この場面では金剛とフォスが見つめ合う最中、フォスの左目がキラリとひかる描写があります。やはり、左目に合成真珠が埋め込まれたことが何かしら人間の認証に大きな影響を与えていると考えて間違いないのではないでしょうか。
また宝石の国10巻の冒頭、金剛はフォスとは戦えないという発言をしています。これはもちろんフォスへの愛ゆえにとも取れますが、見方を変えると、人間として認識しているフォスには手を上げられない(創造主には逆らえない)という金剛の機能的問題が絡んでいるようにも取ることができます。
フォスが金剛を起動させることができたのは、人間の感情を持ったから?
ただし肉と骨と魂が揃いフォスは人間としてみなされるようになったというのは少し弱い気もします。というのも、月人ほどの科学力があれば、それくらい簡単にできるのではないかと思うからです。
もしもう1つ別な要素が必要と言うのなら、非常に感情的な話になりますが、フォスは物語を通して唯一深い絶望を味わっているからなのではと感じます。主人公だからと言えばそれまでですが、他の登場人物に比べその孤独具合が半端ないのです。
エクメアは、生き続けることが呪いだと口では言うものの、そこに住む月人たちの表情はあくまでも明るく、また様々なこと(例えばエクメアとカンゴームの結婚式だとか、服やら研究やら)に情熱を持って、また生き生きと過ごしています。宝石たちは、常に月人から狙われているとは言え、永遠に近い命を持ち、また生死感も月人と同じかそれ以上に希薄で、先生こと金剛とともに楽しく生きています。
月にいたアドミラビリスたちはもはや自我を失い、宝石の国1〜2巻で邂逅したアドミラビリスの王ウェントリココスや、宝石の国7巻に出てきたその子孫ウァリエガツスを除けば感情があるように見えません。そしてウェントリココスやウァリエガツスたち海で生きるアドミラビリスたちも、月に捕らえられた仲間を助けるという明確な目的を持って生きているようです。
そんな数多くの登場人物の中で、フォスだけは、物語が進むにつれどんどん孤独になり、絶望していきます。大好きなカンゴームはエクメアに取られ、この閉塞した状況をなんとかしようと宝石たちを月に連れてくるも、エクメアをうまくコントロールできずその宝石たちに非難されています。
また地上では、宝石たちをたぶらかして月に連れて行ったとして、第一級戦犯のような扱いを受け、終いには仲間であったカンゴームに、無情にも顔面をぶち割られてしまいます。宝石の国10巻において金剛の前に現れたフォスは金剛に必死にお願いをします。
どうか月人のために祈ってくれませんか?壊れていることは知っています。でもあなたにしか救えない。月人のためじゃない。宝石とアドミラビリス、あなたの愛した人間の全ての幸福のために。どうか…
宝石の国10巻
どうかもう1度祈ってくださいませんか。誰のためでもなく、僕のために。どうかご慈悲を。もう、疲れ果てました…
宝石の国10巻
このセリフを言っているフォスの気持ちは、この星が6度欠けた時に海に入ったかつての人間が、どんなに手を尽くしてももうどうにもならないと絶望した時の感情に似ているのではないでしょうか。当時金剛を作った人間の感情をフォスが持ったからこそ、人間として認証されたのでは?と勘ぐるのは早計かもしれませんが。
エクメアの話は本当なのか?
宝石の国8、9、10巻と、ここのところずっと月人サイドを軸に話が展開しているので見落としがちですが、エクメアの言っていることと、かつてフォスがアドミラビリス族の王たちから聞いたことにはズレがあります。月人の目的です。
宝石の国2巻、ウェントリココスはフォスに、「魂はついに清らかな新天地を得、肉と骨を取り戻すべくさまよっていると言われている」と言います。実際にフォスが月に行くまではそれが正しい説で、月人はアドミラビリスと宝石を付け狙う悪い者という印象しかありませんでした。
けれども逆にエクメアが言うには、宝石を狙うのは単に金剛を刺激したいだけ、アドミラビリスが月にいるのはアドミラビリスの方から月に住まわせてほしいと懇願してきただけだと言うのです。果たしてどちらが本当なのでしょうか。
月人の主張の方が正しいと思える根拠
月人は、やろうと思えばいつでも宝石たちを全員回収できそうです。もちろんそれなりに苦労はあるでしょうが、あれだけのテクノロジーがあり、人員もあり、組織力もあれば、むしろ毎回宝石を仕留め損ない取りこぼす方がおかしいのでは?と思うほどです。
だからこそ、エクメアの言葉には説得力があります。やろうと思えば宝石たちは全滅させることもできるが、目的はあくまでも金剛を揺さぶること、だから手加減していると言われれば、確かにそうだなと頷くほかありません。
アドミラビリスの主張の方が正しいと思える根拠
エクメアの話では、海中の藻類が少なくなり、食糧難に陥ったアドミラビリスたちの方から月の合成食料を分けてほしいと頼み込み、月に連れてきたもらったとのことです。ですがそのように交渉できるほど月人とアドミラビリスに交流があったとはとても思えません。
また宝石の国1巻では、アドミラビリスが草原の草を食べて排便している様子が見られますが、それはつまり地上の草原の草でも栄養になると言うことではないでしょうか。また宝石の国8巻でフォスが月に来たばかりの頃、「おまえたちはにんげんにもどりたいと…」とエクメアに聞いたことがありました。
エクメアの主張からすれば、それは“アドミラビリスが勝手に言っていること(月人の本来の目的は無に帰ること)”なわけですが、その時のエクメアの微妙な表情も少し気になります。なんにせよ、月人の主張は月人側の話だけで、アドミラビリス側の主張はアドミラビリス側の話でしか聞かされていないわけですから、どちらが正しいと言うのはまだ判断することができないでしょう。
金剛が祈るとどうなるのか?
金剛が手をあわえて祈る所作を行いその機能が起動すると、月人の魂は無に帰ると言われていますが、実のところこれも怪しいのではないかと考えています。なぜならこれらは全て月人側の、主にエクメアの主張でしかないからです。
これについて他の月人も同様のことを言っていれば、もう少し信憑性があったかもしれません。けれどもこういった世の中の仕組みや世界の歴史について、金剛の秘密については見事にエクメアしか喋っていません。
理性のあるアドミラビリスが出てこないことや、先生こと金剛がその件について一切「喋れない」を貫き通していることも、月人の主張だけが都合よく刷り込まれてしまうことを助けています。なんとなくですが作者の作為的なものを感じてしまいます。
最新の80話では、金剛が祈ると月人だけではなく宝石もアドミラビリスも、人間に関係するもの全てが無に向かうとエクメアは言っていました。そのせいで、宝石を大事にしている金剛は祈ることができないのだと。
ただしそれすらも、果たして本当なのか、謎が残るところです。むしろ月にいる月人(魂)にアドミラビリス(肉)と宝石(骨)が合体して人間になってしまい、そのために宝石の意識はなくなる=無になってしまう、の方が自然な気すらしてしまいます。
なぜフォスは先生こと金剛を祈らせる(起動させる)ことができたのか?宝石の国をの考察のまとめ
宝石の国9〜10巻あたりで色々な謎が解けてきて、物語は終盤に差し掛かっているようにも思えますが、少し穿った考え方をしてしまうとまだまだ謎は尽きません。フォスが月に宝石を連れて行ってから200年以上も経っており、アドミラビリスも相当代変わりが起こっているはずですので、まだまだ物語に絡んでくるのではと思うのです。
早いサイクルで代変わりをし環境に適応する力を持つアドミラビリスが今後どんな形で絡み、月人の謎に新しい回答を提示してくれるのか。また目覚めたフォスが今度はどんな変化をしているのか。
まだまだ楽しみは尽きません。今後も宝石の国を期待して待っていたいと思います。
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