少女終末旅行という漫画にはたくさんの謎が散りばめられていて、それらがほとんど未解決なまま物語は完結しています。けれども、これくらいいろいろと背景を考える余地がある漫画の方が正直面白いと思います。
だって1から10まで全部ネタばらしをしてしまったら面白くないじゃないですか!
ということで、最後まで謎につつまれていたいくつかの謎について勝手に考察していきます。
少女終末旅行の時代設定について考察
少女終末旅行に登場する銃器などの武器や戦車、装備、そして2人の乗っているケッテンクラートも皆現実世界に存在する物ばかりで、一見私たちの時代とそう違いはないように感じられます。けれども、実は時代設定については明確に示されているところがあります。
原作漫画1巻の最後にて、カナザワという男性からカメラをもらうのですが、2人はそのカメラで様々な場所の写真を撮影します。そしてそのカメラのファインダーを覗いた際に、通常のカメラのように右下に年月日が表示されているのです。
表示は、3230.08.06…現代からおよそ1000年以上未来の話、ということになります。
なぜ1000年も昔の武器や装備が使われているのか?
文明がそれ以降発達しなかった、ということではなさそうです。これについては、前述の金沢のセリフにその答えが隠されていました。
「この階層型の都市を作ったのはもっと古い人間だよ」
「僕たちの祖先はその古代人の作ったインフラに住み着いたに過ぎない」
このセリフからだけでも多くのことがわかるかと思います。過去には巨大な階層型の都市を作ってしまえるほどの科学力、技術力を持った人類が一度滅び、そこに今の人類が、過去の遺産を利用する形で生存しているということです。
また少女終末旅行の原作漫画1巻の巻末には2人の乗っているケッテンクラートの図解が掲載されているのですが、そこに「文明崩壊後の世界では古い文献を読み取って復元した技術を主に利用している」との記載もあります。1000年前の武器や装備が未だに現役な理由は、まさにここにあると言って間違いないでしょう。
新しい人類は下層でしか生きられなかった?新しい人類の生活圏に関する考察
面白いことに、科学的な視点でも文化的な視点でも、上層へ進めば進むほど文明は高度になっていきます。そして5巻や6巻で訪れる最上層およびその次の階層においては崩壊の度合いも小さく、そういった過去の文明の遺産がまるまる残っていたりするのです。
逆に言えば、チトやユーリの祖先、つまり新しい人類はあくまでも下層でのみ生存していて、上層階までは生活の基盤を広げられなかったということが考えられます。
なぜなのでしょうか。その鍵は、少女終末旅行の時代の食糧事情にあると考えられます。
チトとユーリが荒廃した世界を旅するさなか、実は人間以外の動物をほとんど見かけることがありません。もはや見捨てられた養殖場に1匹の魚が残っているだけです。また植物に関しても同じで、これは下層の方で見つかる食糧加工工場のそばにほんの少し生えている程度です。そのため、2人の食糧は常に、芋を加工した固形食糧のみです。
そもそもこの少女終末旅行を読み進めてみると、下層ではそういった工場のような背景描写が多く、中層が主に住居、そして上層が美術館や図書館、研究所などの文化的な建物が数多く登場します。つまり、そもそも古代の人類がこの階層型の都市を建築した際に、そのように階層ごとに役割を持たせていたのではないか、と推察されるのです。
そうなると、文明を失い古代の遺産を糧に何とか生存していた新しい人類にとって、食糧がない上層階は決してすみやすいところではなかったのではないかと考えられるのです。
滅んだ文明の場所は日本だった?少女終末旅行に登場する言語から考察する
少女終末旅行には主に2つの言語が登場します。1つは、主にチトが読んでいる本や寺院の石板に書かれている文字。そしてもう1つは明らかな日本語です。
前者に関してチトはたどたどしいながらも解読しその意味を理解できるようで、寺院では何のために建築されたのか、どんな信仰だったのかなどをユーリに解説してくれていました。
一方物語が進むに従ってさらに上層階へと舞台が移っていきますが、そこで拾った本や施設の表示は私たちが慣れ親しんでいる日本語です。
稀に、恐らくアルファベットを用いた言語であろう本が落ちていてるのですが、チトがそれを「遠くの国の言葉だ」と言っているので、日本語とほかの言語を明確に使い分けていることが分かります。
新しい人類の手が及ばない上層階で日本語が使われているということは、つまるところこの階層型都市を作った古代の人類こそ日本人である可能性が極めて高いことを示唆しているのです。
なお、新しい人類の言語も、よくよく見てみると平仮名のようにも見えます。また古代の人類の書物が星の数ほど存在する図書館を訪れた際には「読める本もいくつかあったんだよね」とチトが言っています。おそらくそれは平仮名で書かれた子ども向けの本で、新しい人類は1000年の間に漢字の文化を失ってしまったと推察されます。
この世界の神様とはいったいなんなのか?新しい人類が古代の文明を復元できてしまった理由を考察
寺院に登場する神様と思しき石像は、最上層へ通じる塔にいた人工知能の立体映像の人物に非常に似ており、おそらくはそれを模したものではないかと考えられます。人工知能の立体映像を神様と崇めていたわけですね。ではなぜその立体映像が神様として崇められたのでしょうか。
おそらくこの人工知能は、古代から生存する唯一の存在であると考えられます。そして原作漫画を読むに、その性格は温厚で、見た目も多くの人から好感を持たれそうな風貌をして、さらには自身で自滅のコードを作ってしまえるほどに知能も高いのです。
文明を失い生きることに精一杯な新しい人類が、そんな彼女を頼りに来るということも、ごくごく自然なことなのではないでしょうか。人工知能が居座るのは最上層の一歩手前の管理塔です。その周辺に食糧はないと推察されますので、文明を失った人々は、わざわざ食糧がある生活圏から教えを請いに来ていたのかも知れません。
何を教えてもらいにきていたのか?
もちろん、食糧加工工場の使い方や服の作り方、生活していく上で便利を追求すること全てにおいてでしょう。古代の文明を復元させ使いこなせる秘密が、おそらくこの人工知能の立体映像なのではないかと思うのです。
新しい人類が滅んだのは人工知能のせいなのか?戦争の原因と激化した理由を考察
人間という生き物は常に群れて、けれども絶対に一枚岩にはなり得ず、それぞれの集団ごとに自分たちの利益を追求しないではいられないものです。前述で、新しい人類は人工知能を頼り、古代の文明を復元して自分たちの生活を支えていったのではないかと考察しましたが、そうすると絶対に起こるだろうと推察される事案が、それぞれの集団ごとの争いです。
例えば食糧加工工場の数が限られているならば、それを巡って対立することもあるでしょう。またチトとユーリが訪れた際にはすでに朽ちかけていましたが、ちょっと前までは生きた魚が複数いたとされる魚の養殖場も、争いの種になってしまいそうです。
そして人工知能は、いがみ合うそれぞれの集団に、頼まれるがままに武器や兵器の情報を提供していったのではないでしょうか。
「社会の利害とは無関係な場所にいる点で旅人と神は似ています。だから頼みたくなるし…祈りたくなる」
これは人工知能の言葉ですが、社会の利害とは無関係だから、頼まれる…それは見方によっては、各勢力からそれぞれ武器や兵器の作り方について教えて欲しいと請われていたのではないかとも考えられます。また、
「私は失敗作の神様でした」
と言って人工知能は消えてしまいますが、自分のしたことが戦争を引き起こしてしまったことを悔やんでいるのではないかともとることができると思います。
原作漫画の中で、
「外の灯台に電力を奪われていたせいで、入口が開かなくなっていたんでしょう」
「まあ色々あって扉を閉ざしていたのも私なんですが」
と、相反する2つのことを説明する人工知能。察するに、戦争が激化し頼み事も過激さを増すことで扉を閉ざしていたところ、それを「自分たちにはもう教えてくれなくなった」と勘違いした勢力が扉を開かないようにし、他のどの勢力も人工知能のアドバイスを聞けないようした、というのが正解かと思います。
ヌコの正体とは?人工知能とのかかわりやその役目について考察
少女終末旅行の中でもひときわ異彩を放つマスコットキャラクター、ヌコに関する考察です。
ヌコといっても本当にそんな名前なのかは分かりません。チトが「これが昔本で読んだネコという生き物なんじゃないか?」と言ったのに対して、そもそも人の言ったことを真似して発音しているその生物が「ヌ…コ」と返したことから、その名前がつけられただけです。
自ら言葉を発することはなく、近くにあるラジオや無線機などを介して言葉に似た音を出しています。ただユーリがいろいろと話しかけていたおかげで、実に様々な言葉を覚えました。
2人との同行中、銃弾や機械などをどんどん食べていくわけですが、どうやらヌコを含むその生き物たちの役目が、稼働するおそれのある機械などを動かなくさせることであることが後から分かります。ちなみにヌコの仲間たちは、原子力潜水艦のミサイルを食べていました。では彼らは一体何者なのか?そのヒントは、人工知能が神様として祀られていた寺院にあるように思います。
寺院をあらためて思い返してみると、寺院には祀られていた神様のほかに、ヌコのような生き物の石像が数多く立っていました。いや、寺院だけではなく寺院のあった町のいたるところにそれは立っていました。
ただし、ヌコたちは神様である人工知能のように、人類になにかを与えるようなことはしません。ただただ武器や兵器、機械を動かなくさせるだけですので、むしろ新しい人類にとってみれば邪魔な存在だったのではないでしょうか。そんなヌコたちがなんの理由もなしに、まるで神様の使いのような位置付けで寺院に立てられているわけはありません。
寺院を建てたのは新しい人類ですが、彼らにとってみるとヌコたちは、神様である人工知能に近いしい存在であったのでしょう。人工知能と同じく古代からの遺産というのが一番有力な候補ですが、一歩踏み込んで、もしかしたら本来ヌコたちは人工知能と同じ場所にいたのかもしれません。そして人工知能を頼りにきた人がそれを見て、神様の使い、神様の僕と勘違いし、寺院や町のいたるところに設置したのではないでしょうか。
チトとユーリを導いたおじいさんとはいったい何者か?
チトとユーリが荒廃した世界を、ひたすら上層階へ向けて進むわけですが、そもそもなぜ上層階へ行かなければいけないのでしょうか。それは5巻の2人の回想に出てきたおじいさんの言葉だからです。
おじいさんのセリフで「上へ登りなさい、下はだめだ」とあるのですが、おじいさんは何を知っていたのでしょうか?
2人の会話の中で、おじいさんは“任務”でいろいろな土地へ行っていたということが分かります。また行った先で、読める読めないに関わらず多くの本を持ち帰っていたということも語られています。読めない本というと古代の言葉で書かれている本になるかと思いますが、そもそも古代の言葉自体、この階層型都市の上層階でしか目にする機会はありません。つまり、おじいさんが任務で行ったいろいろな土地の中に上層階も含まれるということ、もっと言えば、むしろ上層階へ行くことがおじいさんの任務だったのではないかとも考えられるのです。
おじいさんのセリフの中で、気になる一言があります。
「人間は忘れる生き物だが…そのために知識の積み重ねがあるというのに」
これは人工知能が語った、忘却できないことが自分を苦しめている、といった意味と対極にあるようにも思えるのです。
おじいさんの任務は、人工知能に会いに行くこと。となればおじいさんはそれなりの地位にあることが推察されますし、この階層型の都市で何が起こっているのか、どんな滅びが迫っているのか、そして、上層階に生きる希望があるかもしれないということを知っていたのかもしれません。
少女終末旅行の謎を徹底考察
以上、原作漫画でも語られていない少女終末旅行の謎について考察してきました。もちろん、こういった謎についてまったく考えなくても十分楽しめる物語です。ですが、これらの謎について理解を深めた上で読んでみると、また違った面白さが堪能できるのもまた事実。ぜひとも一度手にとって読んでみてはいかがでしょうか。
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