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作者の短編集から見るダンジョン飯

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ダンジョン飯の作者久井諒子先生の短編集「竜の学校は山の上」を読んでいたら、なんともダンジョン飯っぽさが見えてきて、なんとなく面白かったです。

久井先生の短編集は、他にも「竜のかわいい七つの子」「ひきだしにテラリウム」持ってますけれど、「竜の学校は山の上」が1番ダンジョン飯の雰囲気がありました。

ということで、今回は久井先生の短編集を読んだ上での、ダンジョン飯の感想みたいなものをお話しします。

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魔王を倒しても幸せにはなれない

なんとなくですけど、作者の久井先生は、魔王を倒せばめでたしめでたしではないでしょ、という強い気持ちがあるように思います。「竜の学校は山の上」には、よくある英雄譚を別な側面から見たエピソードが4つ掲載されているのですけれど、どのエピソードも、魔王を倒した後、単純に世界に平和が戻った、というようにはならないからです。

魔王という共通の敵を失い、隣国と戦を始めたとか、そもそも魔王とは世界を救うためのシステムだったとか、そうエピソードばかりです。古今東西様々な英雄譚はありますけれど、まるでそういった数多な物語たちに一言、「それで本当に良かったの?」と疑問を投げかけるが如くです。

けれども考えてみると、ダンジョン飯でもずっと言われていましたよね。狂乱の魔術師を倒したら、今度はその新しい迷宮の主が新しい迷宮を作って、魔物を溢れさせて、結局は変わらないままか、場合によってはさらに悪くなる、と。エルフたちが散々危惧していました。

また迷宮を巡っては常に、その土地の人間たちと西方のエルフたちが、その利権をめぐって睨み合っていましたし、迷宮を根城にするオークたちの問題もありました。

ただラスボスを倒すだけでは、世界は平和にはならないんです。

種族の壁は分厚い

もう1つ、久井先生の短編集には、種族の違う人たちが同じ世界で生きているという描写が多いように感じました。2本足の人間と4本足、ケンタウロスのような人間が現実世界で共存していたり、羽の生えた天使のような子が普通の人に混じって高校に通っていたり、意思の通じない人魚がいる港町だったり。

それぞれの世界で、分かり合えそうで分かり合えなかったり、逆にほんの少し歩み寄れたり、そんな描写が多く登場して、読み手にひとかけらのモヤッとした気持ちを落っことしていくのです。

ダンジョン飯にも似たような描写があったと思います。マルシルの寿命のこととか、オークとの価値観の違いとか、悪魔の幸せと人類の幸せが決して交わりえない存在のあり方とか。

ダンジョン飯がつなぐもの

これまで、久井先生の短編集から得られるエッセンスの一部について述べてきましたけれど、これらは、実はあまりダンジョン飯からは摂取できません。あくまでも物語の背景としてそういう要素を含んでいるというだけで、実際にはそれが表面化することはないのです。

それはなぜか。

それが、タイトルにもなっている「ダンジョン飯」のテーマ、つまり「食」なんだということを私は言いたいのです。悪魔が倒されて、迷宮が攻略されて、一国が海の底から浮上して、それはそれでめでたいことではありますけれど、人のさがを考えれば、その利権をめぐって諍いが起こらないはずがありません。

仮に悪魔を倒した英雄ライオスがその統治を行うにしても、その道のりは決して平和なものではなかったでしょう。なにせそこは、寿命も、価値観も、何もかもが違う多種族が混在する世界なのですから。

けれどもそんな多種多様な人たちをつなぐテーマがそこにあったわけです。同じ釜の飯を食う、なんて言葉がありますけれど、美味しいご飯を食べたいという価値観だけは、皆同じだったわけですね。

もちろん国の運営について、それだけでうまくいくものではありませんけれど、王が、その共通の価値観をとても大事にしていたというのは、足の長さや耳の長さの違う人たちをまとめるのに都合が良かったのではないかと思うのです。

それについて、ダンジョン飯の中で、興味深いエピソードがありました。オークに捕まったライオスたちが、オークと共に食事を作り、同じ食卓を囲み、会話をするというものです。お互い一触即発になるまでいがみ合っていましたけれど、食卓を通して互いを少しずつだけ歩み寄り、理解し合い、友誼を図っていました。そしてその後エルフたちがライオスと敵対した際には、オークたちはライオスを支持し、助けとなるよう動きました。

もともとオークたちは、他の種族たちからは魔物と同様に扱われていましたから、もし迷宮が攻略され誰かに統治されるようになれば、その住処を失う可能性が大いにあるわけです。けれどもライオスならば、話が通じるから、と。

全てを食事が解決したということではないと思います。ライオスの他者に理解を示す姿勢や、マルシルの親子を気遣う言動があってこそでしょう。それでも、食事がその一助となったことは言うまでもありません。

他者に理解を示すこと

もう一度短編集に振り返ってみたいと思うのですけれど、よくよく読んでみると、実はライオスっぽい人物がちょくちょく出てきます。

人間とは決して相容れない人魚を頼みを聞こうとする青年。

魔王を倒して孤独になった勇者について考える、故郷の青年。

神を名乗る得体の知れない生き物の声に耳を傾ける女の子。

現代においてまるで役に立たない竜を活かすことに心血を注ぐ部長。

彼らは皆、自分とは全く違う存在に理解を示そうとしていました。魅入られていた、といってもいいかも知れません。

ダンジョン飯11巻にて、ライオスは翼獅子にこう言われていました。

「人でないものに理解を示そうとする、お前のそういう所が好きだよ」

これはまさに、作者久井先生の想いそのものだったのかも知れませんね。

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